記憶の旅に

備忘録みたいな自分の記憶を残すブログです。

東京・羽田にある時代の遺物(羽田可動橋1)

 

こんちはサリーです。

3月になりました。でも行ったのは2月の頭のことです()

こちらは以前から気になっていた場所

東京は大田区にあるその名も「羽田可動橋」です。

文字通り動く橋です(`・ω・´)キリッ

 

と、可動橋に行く前にちょっと羽田空港に寄り道…

 

羽田空港からモノレールで昭和島駅へ、そこからさらに徒歩20分で到着しました。

 

現地に到着、そこにはぶつ切りにされた橋が!

 

このように固定されてる前後の部分から写真手前側から流れている海老取川と平行する向きで二本の橋が浮いています。ちなみに可動橋として旋回橋タイプで上空から見てもわかる通りグルッと回って一直線の橋になりそうですね。

 

開いている状態で橋の先は見事にあさっての方向w

 

ここで羽田可動橋がどういう経緯で建設されたのかです

羽田可動橋は首都高1号上り線の一部で建設以前、橋の下にある羽田トンネルが慢性的な渋滞を引き起こす場所であり、またトンネル手前には空港入口(現:空港西入口)があり合流部が短くすぐに下りの見通しの悪い左カーブのため事故の可能性が多くあった場所でした。

実際あの場所走行車線の先の見通し悪そう…

 

そこで1990年空港入口から進入した車は羽田トンネルを通らずその先で合流するようにルートを変更しその際、川をまたぐ位置に建設されたのがこの羽田可動橋でした。

 

(羽田旋回橋からのルートと上り本線の合流部と横を走る東京モノレール

写真手前のふさがっている部分から右奥の上っている所が橋につながる別ルート

 

その後94年に湾岸線が開通し次第に交通量が減少した結果98年に使用停止となりそれ以降写真のように開いた状態となっているということだそうです。

またなぜ可動橋となったのか、かつて川の周辺には鉄工所がありそういった場所への航路となっていました。首都高とその隣を通る東京モノレールも船の障害とならないようトンネルが掘られそちらを通っていましたが上のとおり車の別ルートとして橋でも両方が通れる可動橋となったようです。

現在では鉄工所もなくなり橋の近くは町工場といった雰囲気になって船も釣り用?など橋が障害となるような通行はほぼないように見えます。

 

今にでも動きそうな感じはするんですが使用停止以来25年の間に動いたことはあったんでしょうかね?

ちなみにモノレールも首都高もここで地下に潜って橋なんてほとんど見えません…

 

橋の歴史と雰囲気について語ってみましたね。

次回は橋の構造や合流部について詳しく見ていこうと思います。