保安装置切替マップ
こんてぃわサリーです。また半年くらい投稿がひらいてました()
宣伝みたいな記事ですがどうぞお付き合いください。
いやーGoogleっていろんなサービスありますよね!
ただの検索ブラウザとしてだけでなくYoutubeの動画投稿サービスだったりクラウドサービスetc...
さまざまな機能がついてますね!
んで…ここまで言ったらわかる通りGoogleのサービスを使ったものです。
今回「Google my map」を使い作成した「保安装置切替マップ」を公開しました。
こちらのマップは日本の鉄道で使われてるATS・ATC等の保安装置が切り替わる場所を指しています。
以下マップに付記の説明 ↓
日本全国のATC・ATS切替点を記録
(車庫内のATS非設切替を含む)
※今後もわかり次第ちょくちょく更新していきます
ATCは可能ならば国鉄表記に基づく
基本的にATS・ATCのシステム設計が大幅に変わらない場合は記載しない
(変わらない例:C-ATSの京成⇔都営⇔京急)
(変わる例:京王のD-ATCとJR型のD-ATC)
直通して車両内でシステム切替が確認できるものに限る
1部除いてエンド交換により切り替わるものは含めない
私個人でやっていますので見聞で専門的要素だったり、記載にあたって切り替わってるorないのガバ判定要素等が多少なりとも含まれているのでそこは暖かい目で見てください。
(((((゜∀゜;)逃げ恥)
以前から保安装置類の興味があって切り替えるときの装置の動作だったり、運転士の操作がどのように行われているのかというのが面白いのでこのように切替がある箇所をまとめてみたという次第です。
今後も細々更新していくと思いますのでよろしくお願いします。
以上!作っただけの宣伝でした。
東京・羽田にある時代の遺物(羽田可動橋2)
こちらの記事は続きとなります。前回は↓から
今回は橋の構造や合流部について素人ながらの観察を語っていきたいと思います。
橋脚部回り
橋脚は前後アプローチ部と旋回部2つに分かれています
橋脚旋回部の拡大
右側の円柱部分が支点となり反時計回りに回って接合、時計回りで分離という動きをすることが捉えられます。
またアプローチ部から点検用通路が伸びて移動できるようになっています。
左側の扇部にはレールと思わしき線とその上に乗る台車のようなものがあります。
台車と橋脚の間の黒いものはゴムばね?
レールの上表面が錆びていて動いてないことがわかるように見えます。
接合部の状態
このように接合部に柵がつけられ下から登れないようにされていて、また一番上がねずみ返しのような形状となっています。
ちなみにこれ下からみると遠近感がちょっと狂うんですが少し遠くから見ると道路の横の防音壁?の下あたりまで柵が立っていて恐らく今橋を接合させようとしても干渉して繋げられないように見えます。
可動部の岸壁についていましたが、ここから橋の開閉していた時間がおおよそわかりますね。
橋脚にも書かれていましたが繋がっているとき桁下4.5m以下の船でないと常時通行不可となっていました。もちろん現在は常に開きっぱなしのようなので制限がないような状況ですが
川を挟んで反対側は首都高のメンテンナンス基地で直接観察をすることは不可能ですが基地内のアプローチ部のそばには橋の監視塔及び制御塔?になってるらしき建物が見えます。
最後合流部方面につながるアプローチ上には合流先にある昭和島JCTの案内看板が設置されています。一体いつ頃に作られたものなんでしょうね…?少なくとも湾岸線に接続された1983年以後のものとは見れますが。
またアプローチ線上には電燈も設置されていますがだいぶ汚れがついていて整備の手がそこまで入ってないように見えます。
そして上り本線との合流部です。逆走防止で進入禁止表示と赤白バリケードブロックで塞がれてます。この先が昭和島JCTとなります。
ということで2回に分けた羽田旋回橋の様子いかがでしたでしょうか?
今後もこのような不思議な建物を見つけては紹介していきたいと思います。
ありがとうございました。(@^^)/~~~
前回の↓
東京・羽田にある時代の遺物(羽田可動橋1)
こんちはサリーです。
3月になりました。でも行ったのは2月の頭のことです()
こちらは以前から気になっていた場所
東京は大田区にあるその名も「羽田可動橋」です。
文字通り動く橋です(`・ω・´)キリッ
と、可動橋に行く前にちょっと羽田空港に寄り道…
羽田空港からモノレールで昭和島駅へ、そこからさらに徒歩20分で到着しました。
現地に到着、そこにはぶつ切りにされた橋が!
このように固定されてる前後の部分から写真手前側から流れている海老取川と平行する向きで二本の橋が浮いています。ちなみに可動橋として旋回橋タイプで上空から見てもわかる通りグルッと回って一直線の橋になりそうですね。
開いている状態で橋の先は見事にあさっての方向w
ここで羽田可動橋がどういう経緯で建設されたのかです
羽田可動橋は首都高1号上り線の一部で建設以前、橋の下にある羽田トンネルが慢性的な渋滞を引き起こす場所であり、またトンネル手前には空港入口(現:空港西入口)があり合流部が短くすぐに下りの見通しの悪い左カーブのため事故の可能性が多くあった場所でした。
実際あの場所走行車線の先の見通し悪そう…
そこで1990年空港入口から進入した車は羽田トンネルを通らずその先で合流するようにルートを変更しその際、川をまたぐ位置に建設されたのがこの羽田可動橋でした。
(羽田旋回橋からのルートと上り本線の合流部と横を走る東京モノレール)
写真手前のふさがっている部分から右奥の上っている所が橋につながる別ルート
その後94年に湾岸線が開通し次第に交通量が減少した結果98年に使用停止となりそれ以降写真のように開いた状態となっているということだそうです。
またなぜ可動橋となったのか、かつて川の周辺には鉄工所がありそういった場所への航路となっていました。首都高とその隣を通る東京モノレールも船の障害とならないようトンネルが掘られそちらを通っていましたが上のとおり車の別ルートとして橋でも両方が通れる可動橋となったようです。
現在では鉄工所もなくなり橋の近くは町工場といった雰囲気になって船も釣り用?など橋が障害となるような通行はほぼないように見えます。
今にでも動きそうな感じはするんですが使用停止以来25年の間に動いたことはあったんでしょうかね?
ちなみにモノレールも首都高もここで地下に潜って橋なんてほとんど見えません…
橋の歴史と雰囲気について語ってみましたね。
次回は橋の構造や合流部について詳しく見ていこうと思います。
新年あけて4か月ぶりに投稿する。
全然投稿しませんでした。
すみません(_(:з」∠)_)
と言ったところでまたしばらく忘れそうなんですけど()
2023年の抱負…説得力皆無なんですがちゃんと投稿していきます。はい…
京都でオヤ見にいった前後
先日京都鉄博に行ってオヤ31を見にいく手前の話です。
オヤ31見た時の話はこちらに↓
おはこんばんちは、今回もサリーです。(俺以外にだれが…)
今回は京都鉄博の話以外の雑記(阪急のみ)です。
早朝、まだ全然ネムネムな時間に京都につきまして… どう時間つぶそうかと思ったとき朝の京都河原町駅見に行こうと思い立ちました。
京都河原町駅では阪急京都線で唯一増結作業を行っている(ただし朝の上り快速急行1本だけ)ことを思い出しその様子を見ました。
増結の列車が来るまでは何本か…
7302×2R+7325×2R+8311×6R 朝一本目の下り10連快速急行です。
9302×8R 幕車通勤特急!
7300×2R+8301×8R 2本目の下り10連快速急行
そして本題の3本目の上り10連快速急行です。他は桂から10連のまま回送で送られますが、この列車だけは8連が上りを営業列車で運転し京都河原町で増結作業をして下ります。
まず8連が進入
7306×8Rでした。
そのすぐ後ろ追いかけるように7301×2Rが進入、第二場内手前で一度停車
停止信号下の誘導灯が表示している(黄色の奴)ことを確認し確認扱いで第二場内に進入し連結します。
確認扱いとはATS連続20km/h照査無閉そく運転可の状態です。
乗務員や駅員の方たちが貫通路の開放や幌接続をし完了になります。
最終的に7301×2R+7306×8Rで大阪を目指します。
次は西京極へ
5308×7R
撮影した日にちょうど運転を開始したミッフィー号の1307×8R。左側にちょこんと乗ってるのがかわいい。
そして桂に移動し解結作業も
数分で解結作業を完了して回送幕にして7300×2Rが河原町方の運転台で数mだけ後退操作をし8301×8Rはそそくさと河原町に向かいました。
編成が変わりましたが解結後の流れはすべて同じで7302×2Rが梅田方の引き上げ線に入換、向きを変えC号線を経由して桂車庫内に入庫してこの日の運用を終了しました。
またまた編成が変わりましたがC号線内で白幕に切り替え既に帰還済みの増結車やC#4053のいる桂車庫の奥地に留置されていきます。
解結する運用のとき増結車側は昔の西武みたいに行き先に、京都河原町 この車両は桂まで の幕が表示されています。
下のローマ字表記が「Katsura」なのでややこしくなるw
阪急は他にも神戸線や宝塚線でも平日の朝に10連運転をしてます。
神戸線の場合は8運用あります。ただ増結作業は神戸三宮での3本のみ他は固定の10連、解結作業は全て西宮車庫内でやってしまいます。
宝塚線は4運用ありますがこちらは完全に10連固定で増結も解結も一切作業を行いません。(ものさびしい…)
ちなみにここ桂駅からバスで京都鉄博に向かいました。
京都で見たかった奴
京都いってきました(唐突)
もちろん鉄道ネタなのですが、「廃車される前に一度は見ておきたい!!」
と以前より強く思ってた車両です。
その車両は…
「オヤ31」
です。
宮原区の古豪!有車籍の最後のおいらん車!!
走ってるところは見れずとも間近に一度見たいとつねづね考えていた車両。この度京都鉄博での展示がされるということで見に行ってきました。
矢羽根の部分が開いた状態での堂々展示です!!
この日は同時に車内一般公開の最終日にまにあったのでじっくりと観察しました。
↑このズバッと広がった羽がたまんない🤤
車内には待機室やトイレ、羽の監視台等々が設置されています。
便所も時代を感じる「ボットン便所」ですw
3枚目の1~15と書かれている部分はランプとなっていて検測中、内部の羽の横に大きく間隔があいているユニットの数字ごとに対応しています。
通常はランプが点灯し羽が建築限界に触れた際にランプが消灯しブザーが鳴ることで限界の測定ができるという仕組み(のはず)です。
(いつかどこかでみた雑誌記事に書いてあったはずなので後日探してきます。)
↑参考に同じく博物館内に展示されていた建築限界のモニュメント、上部を一部除いた赤枠部がオヤの検測する範囲
来歴を少々説明
今回展示されたオヤ31 31は1956又は57年国鉄長野工場でオミ35 11(車両グループとしてはスハ32)→オシ33 104より改造された車両です。国鉄民営化ではJR西日本へとわたり現在まで生き残っています。
ちなみに兄弟車?としてオヤ31 12が現存車(廃車済)でリニア・鉄道館に保存されています。
(ちょっとwikiで読みかじってるだけなので合ってるか不安)
今回の撮影は模型化の資料にも使えればなぁとか思ってます。
後日京都で他にいろいろ撮った写真を上げたいと思います。
またどこかお会いしましょう。byebye~
最近はDE10を撮ることが多く
こんにちは!サリーです。
タイトルの通り最近はDE10をよく撮りますw
いいですよね国鉄型機関車(^.^) もちろん今のJR世代も悪くはないですが古さを感じながらもデザインが色褪せないことって大切なんですね。
JRの今、数が少なくなりながらも活躍しています。
イベント列車や駅構内の入換、工臨等、でも数年後にはそんな姿が見れなくなっているのかもしれないのはさみしいです。
湿っぽい話は置いといて以下最近見たDE10たちです。
(1704号機しかいないというのを気にしてはいけない)
早朝の千葉駅にやってきました。
2022/05/14 「乗務員が教えるDLの技能講習~入門編~」木更津統括センター内
木更津統括センターで開催されたイベントに参加してきました。
建屋内で外側から車両の扉を開け機関等の一部短縮した出区点検の説明を受けて実際にエンジン始動をキャブ内から見学。
そしてブレーキ試験の体験や車庫内の転車台にのっけて回転させてたりとなかなかに充実した内容でした。(お財布的にはちょっといたかったけど汗)
開催してくれた社員さん等々皆様ありがとうございます。
2022/06/11~12 房総西線客車列車の旅本運転+返却列車
何かといえばこのツアーも参加してみたかったけどなにせ…ね、財布にね…
ほかの用事もあって千葉駅近くと返却しか撮れてないんですけどヘッドマークもかっこいいし最高でも85㎞/hしかだせないDE10が総武快速線を12系引っ張って走るというギャップもいいw
やっぱり興味あるものの知らない部分を知るというのは楽しいです。探求心の冥利に尽きるというかなんというか…
以下おまけ:運転台と変速機